<< March 2015 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
2015年だな

2015年。
早くも3月に突入し、初めての更新。
もはやこの言葉は適切ではないですが、明けましておめでとうございます。

新しい年が始まり、例年スギ花粉が飛び始める頃には諸々が大抵落ち着いてきていて、冷静に花粉に対処できているのですが、今年はどうもうまくいかず。なかなかどうしてです。
こうなるともはや、プロ野球の開幕が待ち遠しくて仕方ありません。今年もうち(巨人)を是非ご贔屓に。

さて。2014年の暮れあたりから現在に至るまで、自分を含め身の周りで次々に起きる出来事があまりに衝撃的すぎて、もはや風雲たけし城の六角形迷路。

ココに書けないこともありますが、まずは去年の自分自身の肺気胸。肺に穴が開く病気ね。
びっくりするくらいの激痛と苦しさで、本当に死ぬかと思いました。日曜日の昼時の竹下通りを、人混みを掻き分けながらストレッチャーで運ばれる様は、差し詰めモーゼの十戒。唯一モーゼと違うところは歩いていないというところ。あの時代はストレッチャーなんてないからね。
現代のモーゼっ。モダンモーゼっ。

ご迷惑をかけた方々、すみません。


それからこれも去年の暮れに起きた出来事だけど、愛猫のテットが亡くなりました。19年と半年の生涯。
思えば小学校5年生の遠足の時に拾ってきたんだよなぁ。とても想いが強すぎて弟のような存在でした。最期は目も耳も駄目になって歩けなくなって、さぞかし苦しかっだろうなぁ。そんなことを思うと胸が張り裂けそうになります。今頃は元気に走り回って遊んでいるでしょう。

その他には母親が急に入院したり、祖母が転んで怪我をしたり。
でもこんなに悪いことが重なっても、自分はしっかり生きてます(笑)


そんなこんなで最近は特に頭を使う機会が増えていますが、それでも空を見上げると相変わらずの空なのです。
「嬉しいときは晴れてほしい」
「悲しいときは雨が降ってほしい」
そうやって見上げてみたりもするのですが、そうそう映画の世界のようには上手くいきません。だからこそ悩んでいることが、バカみたいに小さく感じるのです。

そんな中「想いやり」について考えていたりするんですが、これが全くわからんのです。この言葉難しい!!
だけどそうやって考えることこそが、想いやりに通じる道だと信じていたりもします。
想いやりは持とうとして初めて人のそれを感じられ、それに感謝した時こそ持てるものだと考えます。


最近はLIVEもなかなかできなくて、フラストレーションも溜まりますが、またやります。
アルバムもしれっと作ろうかなぁと考えているのでお楽しみに。

ブログも頑張ろう(いつも言ってて守ったことないけど)


では。